研究室の沿革

筑波大学のルーツは、昌平坂学問所を一部引き継いで1872年に開校した師範学校(文京区湯島聖堂内)までさかのぼります。1902年には東京高等師範学校へ改称し(文京区大塚へ移転)、1929年に東京文理科大学と移り変わっていきます。戦後これらの学校をもとに東京教育大学が設立され、1973年に筑波研究学園都市(茨城県つくば市)にて筑波大学が誕生しました。


東京高等師範学校・東京教育大学における考古学研究

前身校での考古学研究の先駆けとなった三宅米吉(1860-1929)は、東京高等師範学校教授・東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)総長・東京文理科大学学長などを歴任しながら、「漢委奴国王」の金印や法隆寺宝物についての論文を発表しました。その功績は大きく、筑波大学附属図書館には三宅米吉の旧蔵書5,043点からなる「三宅文庫」が今も大切に保管されています。

三宅の教え子であった高橋健自(1871-1929)は、東京帝室博物館に在籍しながら弥生時代の青銅器や古墳についての研究を進め、前方後円墳の分布から邪馬台国畿内説を主張しました。同じく教え子の後藤守一(1888-1960)は、古墳出土鏡や服飾史の研究、群馬県内の古墳の発掘調査などを行い、戦後は明治大学教授として数多くの後進の指導にあたりました。また、『日本農耕文化の起源』などで弥生時代の稲作農耕を主張した森本六爾(1903-1936)も、三宅米吉の副手として東京高等師範学校に勤めており、研究室に縁のある人物です。

高橋健自の指導をうけた石田茂作(1894-1977)は、飛鳥の古代寺院跡や遠江国分寺の発掘に携わり、仏教考古学を提唱しました。当時論争となっていた法隆寺再建説を発掘調査から実証したことでも広く知られています。また、八幡一郎(1902-1987)は、東京帝国大学を卒業後、専門であった人類学の知見を活かして縄文時代研究を主導しました。戦後は東京教育大学教授に就任し、八幡の尽力によって史学科史学方法論コース内に考古学講座が新設されました。

このように、筑波大学の前身校は考古学研究において中心的な役割を果たした研究者を数多く輩出しています。そうした先達が収集した貴重な資料は現在も研究室に保管されています。


筑波大学における先史学・考古学研究

1973年の筑波大学開学にあたり、考古学講座に加えて新たに先史学講座がつくられました。ここに現在まで続く先史学・考古学コースが設立されます。その初代教授となった増田精一(1922-2010)は、東京教育大学助教授に就任以降、イランのタペ・サンギ・チャハマック遺跡をはじめとして西アジアの調査を数多く実施し、西アジア地域を中心としたの博物館である古代オリエント博物館開設に大きく携わりました。続いて教授に就任した加藤晋平(1931-)は、シベリアなどの北アジアにおける先史文化や北海道の旧石器文化などについて研究し、筑波大学を退官した後は國學院大學や札幌学院大学でも後進の指導にあたりました。

岩崎卓也(1929-2018)は、東京教育大学卒業後、東京教育大学助教授・筑波大学助教授・教授を歴任しながら、古墳時代初期の土師器や古墳時代の地域史などを研究し、シリア・エル=ルージュ盆地での調査も行いました。また、長野県森将軍塚古墳では発掘調査や復元整備事業など長年にわたって参画したほか、旧筑波町(現つくば市)桜塚古墳や旧新治村(現土浦市)武者塚古墳などでの調査成果は現在でも筑波地域研究の基盤となっています。前田潮(1942-)は、東京教育大学の卒業後、東京大学を経て筑波大学教授となりました。北海道や樺太、極東シベリアなどで多くの調査を行い、オホーツク文化研究の進展に大きく貢献しました。

それまでの従来の考古学研究に対して、生態学の視点から縄文時代研究に大きな成果をもたらしたのが西田正規(1944-)です。京都大学で理学博士を取得後、筑波大学に赴任し、縄文時代の植生復元や生業活動などについて理化学的な分析も用いながら研究しました。なかでも、人類の進化にとっては農耕よりも定住が重要であったと論じた「定住革命」は、通説を覆す画期的な論考でした。先の先生方と異なり、西野元(1932-2020)は、千葉県の文化財行政に長年従事したのち、筑波大学に就任しました。茨城南部の古墳測量調査や笠間市西田遺跡の発掘調査を行い、多くの学生の指導に注力しました。西田遺跡から出土した考古資料は「人文社会系学術展示室」にて展示されています。また、川西宏幸(1947-)は、京都大学を卒業後、古代学協会を経て筑波大学教授となりました。古墳時代研究で円筒埴輪研究の第一人者として現在でも学史に欠かすことのできない研究成果を挙げた一方、筑波大学ではエジプトのアコリス遺跡で長らく調査を実施しています。

このように、筑波大学開学以降も数多くの先生方が後進の指導にあたり、全国各地の研究教育機関・地方自治体などでたくさんの卒業生が活躍しています。筑波大学考古学研究室は、長い歴史の中で受け継いできた燈火をもとに、これからも先進的な先史学・考古学の研究教育を行っていきます。